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少女サナトリウム

シナリオライター木野誠太郎(きのせい)があの事件についてついに語ります 連絡先⇒kinoseitaro@gmail.com

架橋

ブログが三日坊主とならないよう、今日は高校生のときに書いた小説を(黒歴史ですが)アップロードします。

感想お待ちしてます。

 

以下本文

 架橋

 

 

 

 この尾道の商店街にも、シャッターを下ろす店が多くなってきた。昔、記念写真を撮った写真屋も、学校の行事のあとに連れて行ってもらった定食屋も、数年前に店を畳んでしまった。

 

 僕はそれを悲しいことだと思う。つらいことだと思う。でもその一方で、生活を変えてしまうほどの困苦があってはならないと考える。

 

 かく言う僕も祖父の代から続く古書店を継いでいるが、このご時世に商売繁盛ということはまったくない。むしろ明日にでもシャッター組の一員となってしまう可能性だってあるくらいだ。

 

 聞くところによると、ある特定の人に向けた出版物や音楽が成功するというセオリーがあるそうだが、それはあくまで全国的に流布してこその話で、地方の町には当てはまらないことが多い。

 

 尾道だってそれは変わらない。現に商店街の店には以前ほどの活気はなく、成功しているのは観光向けのお店のようなごく一部だ。ミュージシャンや小説家、役者なんかは唯一にして髄一を求められるから、百人に一人や千人に一人といった高倍率の特殊性を求められるけれど、普通の職業にそんなことがあってはならない。

 

 しかし、どうして普通の職業として生活するために、普通を通り越した苦労をしなければならないのか。ましてや普通の店だ。普遍性を売っていて、特殊性ではなく普遍性が求められるはずなのに。

 

 そんなことを考えていても埒があかないことはわかっていた。わかっていたので、自分の境遇を不幸だと見積もって悲劇のヒロインぶるのはやめにした。

 

 僕は客のいない間に、店内の隅に位置する、レジのある台で小説を書く。

 

 何の話を書くのかはまだ決まっていない。

 

 そもそも何のために小説を書くのか判らない。

 

 自分のこれまでの読書の累積を目に見える形で何かに昇華させたいのか、それとも自己表現をしたいのか、あるいは手癖が悪いだけなのかも判らなかった。

 

尾道の話でも書くか」

 

特に理由もなくそう一人ごちる。

 

 誰もいないと独り言が多くなってしまって嫌だ。自己嫌悪。

 

 十分ほど頭の中を掻き回し、『尾道の話』を考え、考えると同時にキーボードをタイプするが、何も書けない。

 

 それは尾道の話ではない。

 

 尾道をモチーフとしたものの、結局それに終始できないような、そんな話だ。なぜだろう。

 

 僕は尾道から離れたがっているのかもしれない。

 

 なぜなら、この店舗に僕は束縛されているから。世界があまりにも狭すぎるのだ。

 

 だから尾道の特徴を捉えられない。

 

 いい部分も悪い部分も、そこに住んでいることには本質を捉えられない。感情は相対評価だ。だから『どこか』と比較されなければ、本質は見抜けない。

 

 思うままに並べた文字の羅列を、消去し、諦めて放置していた求人情報誌を眺める。

 

 僕はいったい、何のために小説を書いているのだろうか。

 

 

 

 店内は閑散としていて、正視できないような惨状であるのは疑いようのない事実だが、客の入りがまったくないわけではない。

 

 たとえば僕の目の前にいる木塚美麗。「こんにちは」と小動物のような愛くるしさで一礼し店舗に入ってくる彼女は、本を買うときではなく、学校をサボるときにやってくる。あまり喜ばしいことではないけれど、この店の常連であることに変わりはない。

 

 今日もいつものように一礼。

 

 女子高生という生き物はかわいいのが常である。たまの例外は除く。

 

「こんにちは、お兄さん」

 

「今日もサボり?」

 

「わかってらっしゃる」

 

「というかさ、なんで学校行かないの? 楽しいって言ってたじゃん現代文」

 

「読書はね。というか授業出てないって言ってなかったっけ」

 

「ああ、そう言われるとそんな気がしてきた」

 

木塚さんは保健室登校をしている。だからうちの書店に来ようが来まいが、授業には出ていない。単位についての話は詳しく知らないが、進級が危ぶまれるのは確かだ。

 

「読書は心を豊かにするから。だから授業なんていらない」

 

「それは極論だ」

 

「このやり取りにももう慣れたね」

 

「いつも言ってるそれって信条?」

 

「そんなものかもね」

 

「読書は心を豊かにする、って本当なのかな」

 

「書物を取扱う人がそんなこと言っちゃっていいの?」

 

「いいんじゃない。ただの娯楽だよ」

 

「娯楽ではあるけれど」

 

彼女は腕組みをする。それきり言葉に詰まる。

 

「結局さ、普遍性だからじゃない? 求められているのが」

 

僕が十数秒後に出した答えがそれだ。

 

「特定の層を狙い撃ちした作品のほうが売れるらしいけど。ライ麦なんか、毎年のように売れ続ける。ちょうどきみくらいの年齢の少年が主人公だ」

 

 僕がサリンジャーの例を挙げると、彼女は知っていたように、

 

「あれは、行動はちょっと逸脱してるけど普遍的思春期の衝動の権化みたいなものじゃない? 結構前に読んだから仔細は覚えてないけど」と返した。

 

僕は唸る。

 

「権化とか仔細とか女子高生が使う?」

 

「文学ばかり相手にして現実の男性に相手にされないステレオタイプ的文学少女なら使うよ、普通」

 

いや、普通じゃないか、と彼女は付け加える。それから続けて問う。

 

ライトノベルって好き?」

 

「え?」

 

ジュブナイルみたいなもの。なんかかわいらしいイラストが表紙とか挿絵に描かれてるやつ」

 

「いや、知ってるよ。そうじゃなくて、どうしてライトノベル?」

 

「好きなの、嫌いなの?」

 

ハリー・ポッターとか児童文学はたまに読むけど」

 

木塚さんは肯く。

 

ライトノベルってさ、かわいい女の子が出てくるんだけど、現実の女とはかけ離れてるわけ。都合のいいように造られてるんだけど、それも普通って基準がないと造れない」

 

「なんだよその『表がなければ裏もない』みたいな考え」

 

当然『普通』と『特殊』は対義語である。

 

「つまり、特殊を書くのに作者が特殊である必要はないんだよ。ただ普通を客観視できる普通の書き手が必要なの。読者もそれを求める。特殊なだけなら怪文書みたいに多くの作品の文章をつぎはぎにして羅列にしちゃえばいいだけ。なんだか前衛芸術みたいだけど」

 

ライトノベルに出てこない、それこそいわゆる『純文学』に出てくる登場人物だって都合がいいさ。小説の女は透明だ。それに『性格が悪い』とか『眼鏡をかけている』とかガジェットが付くだけで」

 

「現実の人間もそんなものだよ」

 

「まあ、そんなものかもな。その中できみは『保健室登校』というオプションを付けて生きている」

 

「うん」

 

「でも、意味のない特徴づけなんてない。僕はずっと、きみがそうなってしまった原因が知りたかった」

 

それを聞くと木塚さんの表情が曇った。

 

「授業がつまらないから、ってさっき言った。そうやって個人の問題にこじつけないでよ。それにもう何度目? その質問」

 

早口で僕をまくしたてる彼女。

 

「なんで授業がつまらない?」

 

「やめてよ」

 

突き放すような一言を彼女は放った。僕はそれにいつもの文句で反論する。

 

「突き詰めて考えるとより本質が見えてくる。改善できるならしたほうがいいだろう」

 

「その『保健室登校』って情報を取り除くことが改善なの? 改悪かもしれない。改ざんかもしれない」

 

「それはわからないよ。でも立ち向かわないと」

 

「立ち向かったところでどうしようもないよ。だからわたしは社会的弱者でも構わないし矜持なんてない。帰る」

 

「そっか。さよなら」

 

「さよなら!」

 

語調の強い荒々しい声。

 

 彼女が店に来る三回に一回の頻度で僕たちはこうやって喧嘩し、数日の間をおいて元の関係に修復されている。だからきっと怒らせてしまったといって、気に病むことはないのだろうけど、僕は改善しなければならない。

 

 そろそろ気づいてやらなくてはならない。彼女はなぜ苦悶しているのか。

 

 そうしないと、彼女の将来は僕のようになってしまうだろう。あくまで相対的にしか計りえない幸福の度合は、このままだとマイナスの側に傾いてしまうだろう、もしかしたらすでにそうなっているのかもしれない。

 

 僕はおせっかいではあるが彼女の現状と将来に嘆息する。そして店内に一人となったからか、自然と独り言をつぶやいてしまう。

 

「攻勢に出るしかないか」

 

 言葉は誰にも届かない。そのまま虚空に飲み込まれた。

 

 

 

「二年三組の木塚美麗の兄です。担任の先生からうちの美麗について相談があると言われたのですが」

 

 それはどうやら魔法の呪文らしい。僕は首にかける来校者用の札を受け取り、校内を自由に行き来できるようになる。たとえ僕が木塚美麗という生徒と赤の他人であったとしても。

 

 僕は入り口の事務室に背を向け、そのまま保健室へ向かう。そのさなかに考える。僕がどうして彼女のために、長い間掲げなかった『休業日』の札を店の入り口に出してきたのか。僕は一体どうしたいのか。

 

 もちろんこれは言ってみれば余計な世話であり、もし僕の力を使って彼女が元の生活に戻ったとして、それでは結局自分で解決したことにはならない。もし同じ状況に逆戻りしたとして、そのとき彼女は僕を頼るようになってしまうかもしれない。

 

 それだけは避けたいと願う。

 

 それでは、一体どうして?

 

 僕は何がしたいんだ?

 

 答えの見つからないままに、保健室へたどり着く。

 

 カーテンに仕切られた空間からベッドの脚が垣間見える、日当たりのいい部屋だった。

 

「失礼します」とドアを開けると、保健室の先生がこちらを不審げに見てきた。僕は簡単に偽の自己紹介をする。僕は今木塚美麗の兄だ。そして言う。

 

「美麗が今日も学校をサボりました。理由は教えてくれないんです」

 

「美麗さんは、今のクラスに馴染めていない、と言っていました。もともと学校には友達があまりいなくて、みんなに避けられているようだ、とも」

 

「『あまり』ということは、『少ないけれどいる』ということですよね」

 

「ええ。正確には、『いた』と表現したほうが正しいです」

 

「どういうことですか?」

 

「彼女の一番の友人だった子が、亡くなったんです。それから彼女はすべての友人と縁を切りました。失うのが怖かったから」

 

「……そんなことがあったんですか」

 

「美麗さんには、これから何と言うおつもりですか?」

 

僕は戸惑う。死に勝る言葉があるだろうか。

 

 彼女の理解者ぶって彼女に説教を垂れることが、彼女をどれだけ傷つけただろうか。

 

「謝らないと、いけないかもしれません。僕は彼女のことを何一つ知らないままに、知っている風な口ぶりで心を踏みにじってしまいました」

 

「そうですか。木塚さんのお兄さん、でしたっけ」

 

「はい」

 

「あなた、本当は何者なんですか」

 

「え……」

 

僕はその瞬間、パニックに陥る。なぜ気づかれてしまったのだろうか、何か気づかれる要素があっただろうか。

 

「木塚さんには女兄弟しかいないんですよ」

 

「そうだったんですか……」

 

はじめからわかっていたということか。

 

「それで、あなたは一体、木塚さんの何なんですか?」

 

「僕は……」一瞬、単語を探して、一番似合う言葉は至極単純なものだった。「彼女の、一番の友達です」

 

「ですって」

 

先生があさっての方向に話しかける。

 

「一番は言いすぎじゃない? まあ今は友達いないから、そうなんだろうけど」

 

カーテンに仕切られた奥の空間から、木塚美麗が現れた。

 

 

 

 僕と木塚さんは、学校の裏手に存在する千光寺山へと場所を移した。学校ではどうにも話しづらいという意見が木塚さんから出たため、僕もそれに乗ったのだ。

 

そして千光寺山から見渡すは尾道水道、加えてしまなみ海道の入り口である尾道大橋が、向島へと架かっている光景だった。

 

 体育座りをして、小さくなっている木塚さんの横に僕は腰掛ける。

 

「それにしても、どうして保健室にいたんだ?」

 

「だって一応は学校に行ってることになってるんだから、そのまま家には帰れないじゃない」

 

「確かに」

 

太陽が沈みかかり、山々は陰の色を帯びていく。

 

「今日はわたしの一番の友人、蒔乃の話をしよう。してもいい?」

 

「うん。きみがいいならいくらでも話してくれ」

 

蒔乃は木塚さんと似たような性格で、しかし細部で違っていて、先見性に優れていたため二人で言い争いになったときには蒔乃のほうに合わせることで事態は収束し、また学力も運動神経も大差はないものの蒔乃のほうが少しだけ上回っていたという。

 

 死因は事故死だったそうだ。その突然の死に、彼女は毎日のように泣きはらしたそうだ。

 

「友人であって、永遠のライバルで、わたしはその背中を追いかけていたのかもしれない」

 

永遠という単語が木塚さんから飛び出す。

 

「死んだから永遠になったのかもね」そう彼女は言う。その瞳には涙がにじんでいて、夕焼けの赤を反射していた。

 

「野暮な質問だけどさ」

 

「何?」

 

「蒔乃って姓名どっち?」

 

「……空気読めないやつ」

 

木塚さんは笑う。

 

「名前だよ。木塚蒔乃って言うの」

 

僕はその奇妙な符号に驚く。

 

「わたしの双子の妹」

 

「そうか。だから先生にばれたんだ」

 

「そんなところでしょ」

 

木塚さんと目が合う。そのまま数秒間が流れる。その沈黙が妙に心地よくて、かえって怖くなって言葉を紡ぐ。

 

「最近、小説を書き始めたんだ」

 

「へえ。どんな?」

 

尾道の話。僕の住む町の話。でもうまくまとまらないんだ」

 

「はじめはそんなものかもね。もしかして、プロになるのが目標とか?」

 

「そんな大それた考えなんてもってないよ」

 

「じゃあ、どうして小説を書くの? 何のために」

 

何のために、か。僕が以前自問したことだ。答えは出ていない。

 

「じゃあ、誰のために書くの?」

 

そこまで言われて、失念していたことに気づく。

 

 僕は誰のために、小説を書くのだろう?

 

「僕は……誰かに認めてもらいたくて、書くのかもしれない。儲からない商売をして、何かを達成したことも、学歴もない。女にもてるわけでもない。だから」

 

「誰かって、誰?」

 

「わからないさ」

 

「突き詰めて考えると本質が見えてくる。あなたの言葉でしょ?」

 

僕はそれを聞いて、少し悩んで答えを出した、

 

「そうだな……僕はまず、きみに認めてもらいたい」

 

木塚さんは、それを聞いて僕のほうを見る。

 

「きみの望む小説を書きたい。つたないかもしれないけど、きっと伝えたい」

 

彼女は静かに僕の言葉に耳を傾ける。

 

「架空の尾道を書こうと思うんだ。その尾道では、きみは幸せな生活を送っている。みんな幸せに暮らしている。みんなが優しく触れ合える。シャッターの閉まった店もない」

 

木塚さんは、『幸せな生活』という単語に琴線を震わせたのか、目頭を押さえる。もしかしたら、いなくなってしまった蒔乃のことを思い出してしまったのかもしれない。

 

「きみは体育祭で蒔乃と競争する。クラスではいつも蒔乃と笑いあっている」

 

弱弱しい声で彼女は聞いた。

 

「それでわたしは、わたしの心は、救われるかな?」

 

僕の口角が、自然と上がる。

 

「もちろん。書けるかどうかは、まだわからないけど」

 

「書けるよ。わたしが保証する」

 

「なんでそう言い切れるの?」

 

僕は彼女の確信めいた口調に疑問を呈した。すると、彼女は笑って、

 

「お兄さん、わたしと蒔乃の間に橋を架けてくれたでしょ」

 

「だから、できると思ったの?」

 

彼女はゆっくりと肯く。

 

「人と人との間に、架け橋を作ることができる、そんな人なら、きっと書けるよ」

 

彼女の頬には涙の跡が残っていて、顔は真っ赤で、目も充血していて、髪も風のせいかぼさぼさで、ちょっと不細工だけど、笑うと人一倍かわいい。

 

 だから僕は書く。

 

 彼女を書く。

 

 彼女の幸せを願って書く。

 

 そしてそのためにふさわしい書き出しはすぐに決まる。

 

 『親愛なる木塚美麗に捧ぐ』。

 

 多くの作家が愛した、愛する人のための言葉。